北京オリンピック、スピードスケートを見て思い出した事。サクラメダリスト。

夕焼け レースのこと
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現在行われている、北京オリンピック。

今回は、スピードスケートを見て思い出した事について書きます。

競馬と関係ない話…と思いきや。

後半は、やっぱり競馬の話になります(´ー`)

北京オリンピック。スピードスケート女子

2月15日(火曜日)。

スピードスケート女子団体追い抜き、日本とカナダの決勝戦。

日本は、序盤からカナダにリード。

これは金メダル獲れそう!

あとは最終コーナーを回るだけ!

…というところで。

最後尾の選手が転倒…。

カナダが優勝し、日本は銀メダルとなりました。

普段、私は競馬以外のスポーツはほとんど見ません。

なので。

スピードスケートがどれくらい過酷なのか、頂点を決めるレースがどれほど緻密なものなのか…想像を絶する世界と言えます。

ゴール寸前のアクシデントで、金メダルを獲れなかった…。

テレビ観戦の私でさえ悔しかったくらいだから、選手達の胸中は察するに余りあります。

幻の1着ゴール。

幻の金メダル。

「スピードスケートと競馬を一緒にするな」と言われそうですが。

「幻の金メダル」という事で、1頭の競走馬を思い出しました。

サクラメダリストの思い出

2000年5月20日。

東京2レース、4歳未勝利戦。

※今でいう、3歳未勝利戦ですね。

ダート1600mのレースに、サクラメダリストという牝馬が出走しました。

既走馬の中に、唯一の初出走馬。

それが、サクラメダリストでした。

にもかかわらず、4番人気という高い支持。

そのくらい素質が評価されていた、ということでしょう。

レースは、直線でサクラメダリストが抜け出す展開。

これは圧勝しそう!

あとはゴールを目指すだけ!

…というところで。

突然の転倒…。

他馬に関係なく、馬体に故障を発生した為、ゴールにたどりつくことはできませんでした。

どんよりした雲の下、私は現地でこのレースを見ていたのですが。

場内のどよめきは悲痛なものでした。

サクラメダリストは、この1戦だけで引退。

牧場に帰ることができたのか…今となってはわかりません。

金メダルを夢見て

目前に見えていたビクトリーロードが、突然絶たれる…。

悲劇としか言い様がありません。

サクラメダリスト。

20年以上前の馬なので、JRAのサイトでも「馬名意味」の欄はブランクです。

でも。

きっと、「金メダルを夢見て」といった願いが込められた名前のはず。

その素敵な名前と、あの日のショッキングな出来事とのギャップにより。

サクラメダリストの事は、今でも忘れられません。

「競馬とスピードスケートを一緒にするんじゃない」と怒られそうですが。

以上が、北京オリンピックを見て思い出した事でした_(._.)_

雨の中の喝采

――ちなみに。

サクラメダリストが走ったレースには、マイヴィヴィアンという牝馬も出走していました(7着)。

マイヴィヴィアンは中央未勝利で引退しましたが、繁殖としてダービー馬メイショウサムソンを産みます。

また。

サクラメダリストが走った日のメインレースは、目黒記念でした。

ステイゴールドが勝った、あの目黒記念です

雨の中、割れんばかりの拍手が府中に鳴り響いた伝説のレース。

もう20年以上も前の話になるのか…。

こうして振り返ってみると、つい昨日のような気がしま…せんが。

サクラメダリストとステイゴールドの事は、よく覚えています。

あの日の馬券の成績がどんなだったかは、きれいサッパリ忘れたけれど(^-^;

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